#3 ユニークパールとは

#3 ユニークパールとは

貝から取り出したその瞬間から美しく、気品ある輝きを放つ真珠。
人が手を加えずとも、自然の状態で美しい宝石は真珠しかありません。
神秘的なこの玉は古今東西、様々な装身具に使われ、人々を魅了してきました。

 ANNADIAMONDの真珠は“ユニークパール”と名付けたものを使用しています。
これはアコヤ真珠のバロックパール(歪な形の真珠)を指す語ですが、特にアコヤ真珠のバロックパールをこのように呼ぶのには、これまでの真珠養殖産業のあり方が関係しています。

 

真珠の歴史

天然真珠の時代、真珠は大変希少で高い価値を置かれてきました。真珠層と呼ばれる、光沢ある貝殻内面を持つ貝はすべて真珠貝のため、真珠貝自体は海水淡水問わずいたるところに存在するのですが、多くはたまにしか真珠を生み出さず、またできても鑑賞に堪えないものが多かったのです。

 

まずは、古代から現代まで、真珠がいかに愛されてきたかを紐解いてみましょう。

産地である古代オリエントで花開いた真珠文化は、アレクサンドユニーク大王の東征によってヨーロッパへ移入しました。古代ヨーロッパ人はすぐに真珠に熱狂しましたが、さらなるブームの訪れは15世紀半ばに始まる大航海時代を待つことになります。

大航海時代、コロンブスが南米ベネズエラにアコヤ真珠の大産地を発見したのです。これにより、真珠がヨーロッパにふんだんに入ってくるようになります。また、真珠が卑弥呼の時代から重要な輸出品だった日本ですが、同時期にマルコ・ポーロの「東方見聞録」によりその存在がヨーロッパにも知られるようになりました。

こうして大量の真珠を得て、かつては王族だけが所有するものであったのが、16世紀には価格も下落し、市民階級まで浸透しました。この時代、特に真珠好きで有名なのはエリザベス1世でしょう。彼女は髪にもいくつも飾り、六連のネックレスもつけるなど、当時としても奇抜な格好と見られるほど過剰な真珠で飾り立てていたそうです。

 

その後ガラスに色をつけた模造真珠も出始め、一気に身近になった真珠ですが、19世紀後半から20世紀はじめにかけて、価格が異常高騰する真珠バブルが起こります。これはディーラーによる価格操作やアメリカの新興成金の熱狂などが原因でした。

特に第一次世界大戦の戦争特需を契機に、世界の真珠のほとんどはアメリカに向かうようになり、ブルジョワの生活必需品になりました。ご婦人方は真珠とダイヤモンドを得ることに人生の全てをかけていたと言っても過言ではないでしょう。

1929年の世界恐慌の際は、養殖真珠の普及も相俟って天然真珠の価格も大暴落してしまいますが、真珠の映えるココ・シャネルのブラックドレスが女性たちの圧倒的支持を受けることで、“黒ドレスに真珠をつけるスタイル”が定番に。その人気を取り戻します。

戦後はマリリン・モンローやオードリー・ヘプバーンなど著名人も人気を後押しし、世界中の女性の憧れる宝石となったのです。

時々のブームに翻弄されることはありますが、今も真珠は人々に愛されています。

 

真円を目指すアコヤ真珠

真珠の安定供給に寄与したのが、真珠の養殖の成功です。

通常、1万個のアコヤガイから真ん丸なものは1個出るか出ないかという希少さです。収量の増加で大量に手に入るようになってもなお、粒や色を揃える必要のあったネックレスは数年から十数年かけて作られ、値段が極めて高かったため、各国が養殖の研究をしていました。

苦心の研究の末、真珠の形成の原理を解明し、真円真珠の実用化に成功したのは20世紀初めの日本でした。アコヤガイの産地だった日本で、真珠養殖は一大産業に成長します。元々アコヤガイは真珠の美しさ、丸さにおいて右に出る真珠貝のない“真珠貝の王者”であり、そのアコヤガイを使用することで、続々と丸く美しい真珠が生み出されたのです。

当初は天然真珠の価格暴落を恐れて排斥運動もありましたが、天然物と見分けがつかず、おまけに同じ大きさ・色合いで揃えることができる養殖真珠の名声は次第に高まっていきました。

天然か養殖か模造かはそれほど重視されなくなり、真珠は大量消費時代の大量生産商品に変貌しました。

 

捨てられるバロックパール

このように、日本における養殖真珠は大きさが同じで完全に丸い真珠を量産するために開発されたので、その陰では真円でない真珠が廃棄されてきました。養殖真珠で採れる真円の真珠は全体の1割にも満たないそうですから、

丸い真珠を作ろうとして丸い核を入れたにもかかわらず、奇妙なかたちに変形してしまうのですから、生産者からすれば役に立たないもののように見えてしまっても仕方なかったのかもしれません。今でも年配の職人さんからは、バロックパールは「くず玉」と呼ばれることもあるそうです。

 

けれども、バロックパールは昔から虐げられてきたわけではありません。寧ろ天然真珠時代は変形した真珠の方が多く出回っていたのです。

そのユニークな形はヨーロッパの職人たちの創造力を刺激し、バロックパールを主役にしたジュエリーが作られました。組み合わせて何か別のものに見立てるなど、どのように使うかが腕の見せ所でした。

転機となったのは17世紀。丸い真珠の供給量が増えてきて、バロックパールの一種であるドロップ型の真珠の人気が衰え、円形真珠のネックレスを何連も連ねるのが最新の流行スタイルとなりました。

また、バロックパールは青みを帯びて見えることが多いのですが、この時代白やピンクがかった真珠がもてはやされたことも、衰勢の一因でした。

 

「美」の再考

ところで、人は何を美しいと感じるのでしょう。数千年にも渡り、人類はこの問いを考えていますが、実は答えは見つかっていません。

完璧な球の輝く真珠を前にすれば、理屈抜きに美しいと思い、感動を覚えます。けれども真円が美しいと感じるのは、ある一つの見方であって、普遍的な美なんて本当は存在しないのかもしれません。

美は「発見」されるものなのです。

真円には真円の、歪みには歪みの美しさがあり、それは見方を変えることによって私たちの眼前に現れてくるものです。

 

先程述べたように、バロックパールもその形の個性に美を認められてきた過去があります。特にアコヤガイ以外の真珠貝、例えば黒蝶貝の真珠は変形したものが多く、できたものがかなり大粒だったため重宝されましたし、アワビの産する真珠は棒状や角状で、強い存在感を発しました。

また近年では核を入れない淡水無核真珠・ケシパールが、天然物であることや形の面白さで人気が出ています。球形の真珠が当たり前のものとなった現代において、画一的でない形に新鮮さを感じる人が増えているのだそうです。

 

真珠の世界だけを見ても多様な美が存在するのに、アコヤ真珠は必ず真円でなければならないのでしょうか。

まさかそんなはずはありません。幾たびも時代の美意識に左右されてきた真珠です。今また見方を転じ、その美意識を変えることもできるはずです。

 

美しく、環境に配慮したユニークパール

そうして、アコヤ真珠の養殖の歴史の中で存在を消されてきたバロックパールに光を当てたのがユニークパールなのです。

これまで捨てられてきた要因である、“真円でないこと”に価値を見出したアコヤ真珠の新しい展開です。世界に同じ形のユニークパールは二つとなく、唯一無二のジュエリーに仕上がっています。

それにいくら真円でも、その陰で失われていった無数の真珠を思うと、それは本当に美しいのか疑問が残ります。ユニークパールは、形の美ともう一つ、自然の恵みを無駄にしないという美を備えています。

 

また、生産者が分かるトレーサビリティもユニークパールの魅力です。

ANNA DIAMONDでは愛媛県宇和島市でご家族で養殖業を営んでいる山下真珠さんの真珠を使用しています。養殖には1粒あたり3〜4年という長い年月の手作業が必要で、山下真珠さんでは日々真摯に愛情を持って真珠に向き合っています。

多くの想いの込められたユニークパール、小さな宝石は、力強く輝いています。

 


<参考文献>

・芸術の楽しみ やさしい芸術学 原田平作・神林恒道:編 発行:晃洋書房 2002年7月25日初版第4刷

・美学入門 朝日選書32 中井正一:著 発行:朝日新聞社 1999年5月10日第22刷発行

・真珠の世界史 富と野望の五千年 中公新書 山田篤美:著 発行:中央公論新社 2013年8月25日初版発行

・真珠の博物誌 松月清郎:著 発行:研成社 2002年3月12日初版